四  街の運行は全て機械仕掛けである。日が昇るのも、雲が空を覆い雨が降るのも、風がそよぐのも草花が萌え枯れるのも全て機械仕掛けである。目に見えない微細で透明な歯車が空や地中にぎっしりと詰まっており、それらが噛み合い働き合うことで街は運行されるのである。  七日に一度、雨が降る。天道と地表の角度が定期的にずれることで春夏秋冬は区別される。それに合わせて微細な歯車やシャフトを孕んだ草木が茂り萎れることで、四季は描写される。  古い歯車やシャフトで作られた機械仕掛けの雲が行く。機械仕掛けの雨粒が落ちる。地表で弾けた歯車たちは歯車だらけの土に還る。街が咀嚼する。すると新しく歯車やシャフトが生まれ変わり、街の新しい箇所を構成する。街は日々生まれ変わる。街のどこかで新しい場所が生まれ、古い場所が消えていく。新しい場所には新しい職が生まれ、古い場所では後継ぎが生まれず、伝統は絶えてゆく。再生と荒廃は入り混じり、繰り返される。  カサの家は作業場を兼ねており、傘の墓場から比較的近い場所にある。一人で住むには少々大きすぎるが、床の半分は傘の死体で埋め尽くされているため広すぎるということはない。  あらゆるものには、一個体として生まれてから一個体としての死を迎えるまでのプロセス、つまり生涯がある。そこで起こる出来事は、生死も含めて、全て時系列順に並べることができる。この系譜を指して歴史と呼ばれる。それは傘という道具一つを例に挙げても当てはまることである。  カサの仕事は死んだ傘を蘇らせることだ。  傘は死ぬと生気を失う。これと対比して生まれたばかりの傘というものは、大変活き活きとしているものだ。例えば傘を開いた瞬間。ばさっと力強い手ごたえがあり、雨水を受けても、ぱりっ、と弾くのだ。銀色の骨はぴかぴかと輝き曇天の下でも眩しさを失わない。悠々と銀の手を広げて張った布は、実に色彩豊かだ。だが、傘は死ぬと生気を失ってしまう。開いた時にはしなっと力無く、受けた雨水はすすり泣くように滴り、銀色の骨は赤錆び、布には穴が空く。そうした傘は傘の墓場に捨てられるのだ  明け方、カサは傘の墓場へ行く。  空き地に傘の死体がうず高く積まれたその場所はいつからか傘の墓場と呼ばれるようになり、ここでカサは仕事で使う傘を調達してくるのだ。角を曲がると見えてくる傘の墓場は、朝一番の光を浴びてきらきらと煌く。銀色はより眩しく、赤錆はより紅く。雨上がりの朝は特に美しい。死体の山から突き出た銀色の骨から雫が滴る。そうして雫が集まるところには赤錆が溶けた水溜りがあり、朝日から隠れて暗く淀んでいる。死体の山にあって唯一夜闇の気配を残す場所である。  見上げる山は一つのオブジェだ。  カサはそこから二、三本の傘を引き抜いていく。小脇に抱え、傘の墓場に背を向けてから振り返り仰ぐ山はやはり雄大であった。  カサは以下の手順で傘を再生させる。  最初に集めた傘の布を全て剥ぐ。骨だけになった傘の赤錆を、カサは丁寧に削り取っていく。そうしてぴかぴかになった傘を新鉄と一緒に炉で溶かし、鉄板にしてからまた新しい骨を作っていく。できた骨をやすりで磨き上げる。組み立てる。布を張る。こうして生まれ変わった傘は生命力に満ち溢れている。週に一度、回収業者がやってきて、出来上がった傘を運んでいく。こうして真新しい傘は街に流通し、人の手に渡り、いつか使い古されたらまた傘の墓場へ帰ってくるのだ。  カサは集めてきた傘に対して、おかえり、と声を掛ける。  その朝もカサは傘の墓場へ行く。昨夜のうちに降った雨は道の至る所に水溜りを作り、その水面はしんと静まり返っている。  街全体がまだ夢の浅瀬に浸っているような時間に外を出歩く者は、カサを除いてほとんどいない。真綿より柔らかい朝靄を足で踏みいつもの角を曲がる。間もなく、あの美しい銀のオブジェが見える。四肢を宙に伸ばしたあの姿が。  しかし、その朝は違った。  傘の墓場の前に人が立っている。背を向けているので顔はわからないが、傘の死体を見上げているようだった。それ程にあのオブジェは巨大だったのだなと、カサは男と山を見比べ改めて実感した。  男が傘の墓場に足を踏み入れる。  そして、手を伸ばす―― 「さわるな」  カサは、びりびりと空気が震えるのを感じた。  男が手を引きこちらに向き直る。 「触れてはいけないものでしたか」 「いや、別に、そういうわけじゃ……」  カサは足早に男の脇を抜けると、傘を引き抜いた。それから男の顔を見ずに、 「突然大きな声を出してすみませんでした」  と、呟くように言うと来た道を戻っていく。角を曲がるまで、カサは後ろを振り返ってはならない。  次の日も男は傘の墓場の前にいた。  男は後ろで手を組んでいたが、カサに気付くと会釈した。今朝も早いですね、と明るい声で言う。男は悠然と辺りを歩き、傘の墓場の散策を始める。色々な角度から傘の山を眺め、山の裏側を覗き見る。 「この辺りでは見ない方ですね」 「最近、この街に来たんですよ」 「旅人さんですか」 「ええ」  墓場を一周した旅人は改めて山を仰ぎ見る。 「大きいですね」 「直しても直しても減りません」 「そうでしょう」  朝日は昇り、だんだんと銀の四肢の煌きも落ち着いてくる。 「ここのことは、向こうの丘にいる人から聞きました。親切な人でした」 「そうですか。彼とはあまり面識がないのですが、この街に悪い人はいませんよ」  少なくともカサはそう思っていた。生まれてこの方、一度も物騒な話を聞いたことはないし、そんな歴史があるとも聞いていない。秩序を乱す行動は街が許さないのだ。たとえ不慮の事故であったとしても、悲しい事件は街が"なかったこと"にしてしまう。街には力がある。そういうものだ。街は静寂を乱されることを何よりも嫌う。その静寂を乱した者に対しては、街はしたたかに復讐を行なう。逃れる術はない。  街は街で起こったことの全てを知っている。 「そろそろ戻らないと――」 「そうですか。ではまた」  カサの家には隠し部屋がある。寝室のタンスを開くと地下へ続く階段があり、隠し部屋はその先にあるのだ。硬い石段をランプの灯で照らし、用心深く下っていく地下には風一つ吹かない。湿った土の臭いがする。  やがて隠し部屋の扉に着く。カサはその、ひいんやりとした取っ手に手をかけると、そっと、ゆっくりと引いた。蝶番は軋み、扉の下部は石床と擦れてけたたましい音が狭い通路で反射する。その僅かに空いた隙間から、むっとした甘い臭いが零れた。  隠し部屋に身を滑り込ませたところで灯が消えてしまったので、カサは身を屈めて灯を点けなおす。  ぽっと灯ったオレンジの光が中の様子を照らし出す。  そこには大よそ三つのものがあった。  まず一つは、大きな布を被せた食卓ほどの台だ。カサから見て左手にある。  一方の右手側には、ひどく古い作業台がある。傘を作る器具も揃っている。  そして正面には大きな木の椅子があり、既に白骨化した死体がある。手すりに両手を乗せ、窪んだ眼窩をいつか訪れるカサに向けていた。待ちわびた、と言う風に。  カサはこれが誰だったのか知っている。彼の先代だ。カサを拾い育てた人の行く末だった。カサは驚かない。  カサは天井にランプを吊るすと、懐から定規を取り出し骨の各部位の長さを測り始めた。  カサの先代はさほど背の高くない女性だった。カサを拾った時には既に老いていたが、仕事をする手つきは正確で力強かったことをカサは覚えている。  カサの先代はよく、カサを膝に乗せて歌を歌った。もごもごとした口調で何を言っていたかわからなかったが、ひどく静かな歌だった。その歌を聞きながら、カサはいつの間にか眠っていた。目を醒ますと毛布を掛けられていて、先代は作業場で傘に命を吹き込んでいた。あの静かな歌が聞こえる。窓から射し込む夕日が、先代の肩に暗い影を背負わせていた。その背中は小さく淋しそうに見える。  やがてカサが成長し、カサが仕事を覚えるようになると、先代は嬉しそうに、しかし淋しそうにするのだった。何故淋しそうにするのかなど問う間でもない。  そして、その時はやってくる。  傘に布を張り仕上げに取り掛かっていたカサを先代が呼び出し、自分の寝室へと連れて行った。うららかな春の日だった。窓を開けると、ぽわんと花が香るような暖かい日だった。花壇の花は色鮮やかに眩しいのに、この家の中はいつも秋と冬の間で時間が凍てついている。 「今日は、貴方に私が教える最後のことを教えます」  カサは頷いた。 「これから教えることは、今まで教えてきたことを応用すれば決して難しいことではありません。――もっとも、教えるというよりはお願い事に近いのかもしれませんね」  先代はそう言って微笑むと、クローゼットの戸を開けた。しなびた衣服を全てベッドの上に投げ出すと、ランプに灯を点して暗がりを照らし出した。 「ごらんなさい」 「これは……」 「今からここを下っていきます」  先代は身を屈ませて暗がりに身を沈めると、 「さあ行きましょう」   とカサを手招いた。薄い唇にますます影が差していたが、とても生き生きした風に見えるのだった。  石段を下る途中、先代は終始無言だった。  やがて最奥に辿り着き、扉は軋んだ音を立ててゆっくり開く。中に入る。先代はランプを天井に吊るし、懐かしそうに辺りを見回した。胸いっぱいに匂いを吸い込み、万感の想いを込めて息をつく。 「さて」  先代が向き直る。 「率直に言いましょうか。明日から数えて五年後、貴方にはここで一本の傘を作ってもらいます。いいですか、明日から五年後ですよ。作ってもらう傘は鉄を溶かして作る普通の傘ではありません。何を使って作るかというと――」  手を、自分の胸に添える。 「私を使ってもらいます」  骨を作業台に並べると、カサはやすりで丁寧に骨を磨いた。水に浸し、乾いた布で磨くと骨はますます艶やかになる。この作業を全ての骨に対して漏れなく行なう。歯のような凹凸したものについても妥協はしない。  それからカサは各部位が何に使うかを考える。背骨は節を固定すれば軸に使えるか。歯は糸で吊るしてアクセサリーにしても良いだろう。たくさんある肋骨に何か良い使い道はないか。カサは考えに詰まると、正面のしゃれこうべに問いかける。ぴかぴかに磨かれたしゃれこうべ。手で触って輪郭をなぞってみれば、遠い昔に触った老女の顔と確かに同じであることがわかる。あの頃はとても大きく思えた顔が、今では手のひらに納まりそうなくらいに小さい。頭を撫でる。ひんやりと冷たい。  作業にはおよそ一週間を要した。  出来上がった傘は子供用の傘と同程度の大きさになった。取っ手には右の拳を、軸には背骨を使い、砕いた骨盤を凹凸に詰めて滑らかに仕上げた。翼には肋骨と指の骨を用い、鎖骨や大腿骨はそれぞれ必要に応じて削るなどして各部位の補強に用いた。歯は傘の端に吊るし、星飾りのよう。そしてしゃれこうべは先端に取り付け、傘を開いたときに最も高いところに来るようにした。あとはこれで布でも張れれば良いのだが、皮は既に土に還ってしまっていたのでこれでひとまずの完成となる。  傘の具合を確かめ、できた、とカサは呟いた。  あとはこれをしまうだけだ。カサは作業台から立ち上がる。  向かいの台の前に立ち、台を覆っていた布を取る。そこになにがあるのかわかっているから、カサは驚きも怖れもしない。  ずらりと並んだ骨の傘は、いずれも歴代の人間たちである。役目を終えたカサの一族はこうして死後に本物の傘になる。大小様々な傘たちに、カサは真新しい一本を加えた。ぴかぴかと艶やかなそれも、いつか他の傘のように色褪せていくだろう。カサは布を戻した。その時初めて置いてけぼりにされたような心地がしたのだった。  荷物をまとめて隠し部屋を後にする時、カサは先代の最後の言葉を思い出す。  ――部屋を出てクローゼットを抜けるまで、決して、振り返ってはいけませんよ。もし貴方が振り返って、貴方のかわいい顔を見てしまったら、私はきっと貴方を捕まえてしまうでしょうから。  靴が石段を叩く音がこだまして、二人分にも数人分にも聞こえる。時間は一方向に流れるものであり、決して振り返るべきものではないのである。ランプをかざすと、光はまだ遠いことがわかる。段を一つ踏み、また一つ踏み。いつか必ず届くはずの出口が、今は果てしなく遠い。それこそ来た時よりもずっと遠く。  歩くほどに、背後の気配が薄らいでいくのは分かっていた。  ランプの油も尽きかけた頃にようやく光が見え始め、その頃にはもう背後の気配は消えかかっていた。  そして長い道を抜け出すと、カサはそのままベッドに倒れ込んだ。既に日は傾き、辺りは淡いオレンジに包まれている。間もなくカサは眠ってしまう。何か夢を見た気がするが憶えていない。  目が醒めると、そこはいつもの朝であるのだが、何かが決定的に失われていた。上半身を起こし、胸に手を当て思う。五年前、先代をあの部屋に残してきた後の朝に近い感覚であったが、今朝の方がより鮮明にくっきりと喪失をカサに自覚させる。終わったのだ、これで。  別れ方には様々な方法がある。街はそれを許す。  五  夜が明けるのを見届けるまで見守りは眠りにつかない。  機械仕掛けの月がひどくゆっくりと巡る。  夜闇は眺めていると、ふっと吸い込まれるような心地がする。夜闇を肺に溜めるとそのまま溶けてしまいそうな心地がする。けれど、つないだ眠る人の手が、見守りをそこに引き止める。それが良い。  冷え切ったココアを手元に置いて窓の外を眺める。六度の星空、一度の霧雨。今日は晴れ。ぞっとするような、骨まで凍てつくような寒気が良い。ふっと身体が浮いてしまうような錯覚が良い。本当にそうなってしまえたらどうだろうと思って踏みとどまれるのは、きっと眠る人がいるからだ。  大丈夫、私はどこにも行かない。  緩くつないだ手が彼の見守りに対する信頼の証拠だった。  長い夜は一つの迷宮だと見守りは思う。その胸をしめつけられるような夕暮れ――陽光が薄らいで消える。影が空を覆い闇となる時間。ただただ漠然と「帰りたい」と思う、どこへ? わからない――は長い長い迷宮への入り口だ。空を覆う微細で透明な機械たちの働きで、見守りはあっというまに迷宮に放り込まれる。果てしない迷宮は刻々と姿かたちを変え、見守りを思索の穴へ突き落とす。見守りは考える。  私はどこへ行きたいのだろう。  見守りの一番古い記憶は、眠る人の寝顔だった。見守りはぽかんと口を開いてその顔を見ていた。今と全く変わらない安らかな呼吸のリズム。手を伸ばして触ったほっぺたはびっくりするくらい柔らかくて、自分のと触り比べてみるが眠る人の方がずっと優しかった。それが面白くて、つい何度も触るが、不意に後ろから抱き上げられる。悪戯しちゃだめでしょう。そう諭される。先代の見守りだった。  先代は彼女のことを様々な形で呼んだ。  べべちゃん。  私のもう一人の天使。  真珠の爪の娘。  愛すべき栗毛の子  雨の日の雲のような瞳の女の子。  十年前空から降ってきた少女。 (そうなの? と訊くと先代はこう答えた。それくらい奇跡的な出会いだったのよ、あなたと私は。)  先代は、まだ幼かった見守りから見ても息を呑むほどに美しい女だった。  その物腰はもちろんのこと、先端まで艶やかな長い黒髪に卵形の顔、瑞々しい林檎のような唇、すらりと伸びた手足、いずれも人形師なら理想とするに違いない完璧な作りであった。  しかしその美しさは衣服を脱いだときに最も際立つ。  見守りが風呂で髪を洗っているときに背後から戸の開く音がして先代が入ってきたことに気付く。振り向いて最初に目に留まるのは、その豊かな胸だった。うっすらと浮かんだ鎖骨の下に、均整の取れた、完璧な形をっした胸がある。そこから視線を下へずらしていくと、程よくくびれた腹に窪んだ臍がある。脚は決して細すぎず、世界中のどんな彫刻よりもすばらしい形をしているのだった。しかし最も美しいと思わざるを得ないのは、その肌である。赤子のようにきめ細かいその肌は水を得るとますます滑らかになるのだった。珠のような水滴が浮く。肘や指の先から滴る。果実を絞って垂らした果汁のように軽やかな香りが立つようだった。  それに比べて自分は、と思うと見守りはなんだか情けなくなるのだった。あばらの浮いた胸には、それがいつか先代のようになれる期待など微塵も感じられない。申し訳程度に膨らんだ乳首は慰めになるどころかかえって見守りを悲しませるだけだった。肌も決して綺麗ではない。冬場はもちろん、秋や春でさえ乾燥してかさかさであるし、夏は湿疹に悩まされる。  そんな見守りの様子を察した先代は、見守りの頭に手を置き、 「ねえ、遠い海から流れてきた貝のような耳を持つ娘さん、あなたは一体何に落ち込んでいるのかしらね」  と耳元で囁いた。もう片方の手で、見守りの耳の後ろの窪みを掻く。 「あなたは将来、きっと綺麗になるわ。雨に濡れた小石のような瞳を持つことを思い出しなさい。そんな素敵な瞳を持つ女の子がどうして美しくないなんてことがあるのかしら」  そういう風に言われると見守りは悪い気がしなくなるのだった。  風呂から上がると先代は見守りの癖のある栗毛を、タオルで丁寧に乾かす。それから二人分のココアを淹れ、窓辺に二人は並んで座る。その目の前には眠る人。先代は暖かい血の通った陶器の手で、眠る人の柔らかく細い髪を梳くのだ。世界で最も愛しい天使の器、と呟く。そのうっとりとした横顔を見ると、先代はいつか眠る人の背中に軽やかなな翼が生えてくるのだと本当に信じているように見えるのだ。先代と眠る人と、三人で過ごす夜は、絵本の世界のように優しい色の色鉛筆とクレヨンで彩られ、柔らかく甘い夜になるのだった。  ふっと気付く。もう夜が明ける頃合いだった。体がひどく冷えていることに気付く。見守りは氷のように冷えきったカップを取り、ココアの残りを喉に流し込む。それから窓を閉め、眠る人の隣に滑り込む。そこはほんのりと湿っていて温かい。眠る人の背中に手を回し、小さな頭を抱き寄せ夢の続きを見る。  眠る人の背中にはありとあらゆる感情が詰まっている。喜怒哀楽はもちろん、怒りに似た喜び、楽しいつもりになっているだけの哀しみもある。もはやどうしようもない怒りに裏付けられた安らぎがある。絶望のような希望がある。  眠る人は長い長い夢を彷徨い、その最中にこういった感情に出会い、背中で見守りに語りかける。  九月の風が涙の跡を冷やすような感触の夢。  街は静か。