お客さまは神さまです、と述べたのは三波春夫であるが、その真意はどのような愚神駄神に対してもへこへこと頭を地にこすり付けて崇め奉るべし、ということではない。眼前の客を神さまと見做し、神さまに捧げるように、自らの芸に対して真摯にひたむきに驕れることなくただひたすら誠実に取り組むという、いわば所信表明みたいなものだ。だからこの言葉は口に出し文字に留めていたとしても、その矛先は自分自身に向けられたものに他ならないと私は思っている。それを傍からみてあれこれ思うのは私たちの勝手だとは思うけれど。さて、このように三波春夫は眼前の客の内に神さまを見出したが、私は私の内に私の神さまを仮定する。  これから少しの間神さまの話をするけれど、先にことわっておけば私は神の実在について否定的な立場を取る。有形無形問わず何らかの認識しうる輪郭を持つ神さま、私たちに功績に対する救いや罪に対する懲罰を与える絶対的な力を持つ神さま、あるいは「神さま」と一言述べるだけで他者とイメージが共有され得るような神さま、そのような存在を私は認めない。私が私の中に宿す神さまは、まず私に対してひどくストイックだ。決して私を認めないし、決して達するべき水準を明らかにしない。私を徹底的に責め、苛み、ほんの少しの優しさだって見せやしない。  例えば私が何か物語を書く。それを私の内なる神さまに差し出す。彼はそれを一瞥するとフンと鼻で笑い、手で払いのける。そんな具合だ。  そんなことを繰り返した果てに何があるのかと問われると、私は困ってしまう。確かに傍から見たら、こんなほとんど鬼や悪魔みたいな神さまに付き添い続けるなんてマゾヒストの極みのように思えるものなのかもしれない。その果てに何か相応なものがなければ、損得勘定として釣り合わないと思われるのだろう。結論から言うと、私はこの一連の"苦行"の果てに何も見出していない。かつてはあったのかもしれないけれど、今となってはもはや。  いつか辿り着けるかもしれないとかつて夢見た景色――その神さまの背後にある――に心奪われた時から、私は普通の人が歩く道から逸れたのだと思う。だがそのいつか辿り着けるかもしれないと夢見た景色はそちらの方に近づき手を伸ばせど届く気配はなくて、砂漠の蜃気楼みたいに甘美な夢ばかりを見せるのだ。おそらく、「ああやっと着いた、ここが終点なのだわ、これ以上歩く必要もないのだわ」とほっと息をつき腰を下ろせるような場所は夢に見ることはできても現実に辿り着くことはできないのだと、この頃はおぼろげながらに悟り始めている。だがそのことに気付いた時には、既に手遅れだったように思われる。辿り着けないならば踵を返して夢見たものを諦め思い出さずにいられるのか。私にはできなかった。もしかしたら辿り着けないんじゃないかという不安だけで踵を返すには魅力的すぎる景色だったし、何よりそこに至るまでの果てしない"苦行"なくしてもはや私は私ではいられなかった。私が私であるために私はそれをしなければならないし、ストイックでサディスティックな神さまに食らいついていかなければならなかった。  もちろん人によっては私の言い分などまるで理解もできないだろうし、また親切な人はある種の優しさから「そんなに苦しいならもうやめてもいいんじゃないの?」と言ってくれるのかもしれない。けれど、問題の本質はそこではないのだ。私が苦しいとか苦しくないとか、それが終わりのない拷問みたいなものだとか、そんなことはそもそも問題ではない。今の私にとってのもっとも避けるべき事は私を失うことだ。私が筆を失うことは水や空気を奪われることより辛いことである。神さまにいくら叩きのめされたって私がそれを追い続けている限りは私でいられる。それよりもむしろ、中途半端に優しくて私を認め、そして私を放り出すような神さまなんか、こちらからお断りだ。だからこそ私は私のためのストイックで絶対的に抗う余地のない仮定として神さまを想定したのだろうし、それによって私は私を守るために敬虔に誠実に筆を握ることができるのだ。私が書き物を続ける理由に消極的も積極的もない。私の便益、幸福、社会的実利、その全てを凌駕して私が生きるための儀式として私は筆を握る。  さて、右の文句からも滲み出ている通り、私は初めからこのようなあり方を望み形成したわけではない。ある意味不幸な事故に巻き込まれる形で私は私の内に神さまを仮定し、普通の人が歩く道から逸れてしまった。時々私は思う。もしもあのまま何も知らない無邪気なままでいられたのだとしたら。そもそも万人が歩くような普通の道などありもしなくて、みんなそれぞれに自分の内や外に何らかの神さま(あるいはそれに相当するもの)を仮定し、それぞれがぞれぞれのやり方で向かい合っているのかもしれない。おそらくそれが本当のところなのだろう。しかしある一つの空想として、何物にも苛まれないこの世の最後の楽園みたいな場所を想像せずにはいられない。少なくとも幼い頃の私は、そういう場所にいたのだと思う。おぼろげな自我の中で今に比べたら半分まどろんでいるような、そんな日々だ。  幼稚園も、小学校も、中学校も、半分まどろみながら過ごしてきたような気がする。一日一日が果てしなく、夏休みは永遠で、大人と子どもはまったく別の生き物だった。もちろん早熟な子は周りにちらほらいたけれど、全体としてのんびりと現在の苦楽の判断が私たちにとっての全てだった。今が楽しいことが良いことで、今が苦しいことは悪いことだ、という具合に。内なる神さまに支配されない私の心は、ひどく伸びやかで軽薄で空虚で幸せなものだったとつくづく思う。  その高校を選んだのも、単に家から近いことと仲の良かった子たちが行くと決めていたことが理由だった。大人たちは校風が良いとか大学進学率が良いとか、そういうことが気になっていたみたいだけど、大して相違ない基準だろう。母と、父と、三歳下の弟に見送られて受験に赴き、数日後に入学案内を引っさげて帰宅した。やがて私は中学校を卒業し、件の高校に入学し、桜咲く季節は瞬く内に過ぎ行き、夏休みを迎え、成り行きで入った文化祭実行委員会の雑務に追われ、季節はいつしか秋となる。たった二年前のことだ。(つまり私は現在、高校三年生ということになる。)  思い返す度にその秋の出来事が今の私を形作るきっかけになっていたのだと思う。もちろん単一の要因が強烈に働きかけて今の私を形成したとは思わないけれど、ベクトルがくるりと首を曲げたのは間違いなくそのときの出来事が原因であった。  新学期が始まって二週間が経ち、夏休みの気だるい雰囲気が抜けてきた頃のことである。私は文化祭実行委員である企画を担当していた。といっても元々友達に連れられ抵抗する間もなく入った委員会だったし、何がしたいとはっきりとしたものを持たないまま気がついたらその企画を任されていた。朗読会の企画である。昨年卒業した委員が担当していたものだが、その企画の印象から引き継ぎたがる者がいなかったので、ほどんど消去法のような形で私の手の中で落ち着いたのだった。中夜祭やりたい、広報やりたい、という子は早々に役職を決めていた。興味がなかったわけではないけど、進んでやりたいと思うほどのものでもなかったのがそのときの印象だった。  さて件の九月の半ばは朗読会で朗読を行なう講師の方との初めての顔合わせの日だった。企画書を渡して企画内容について説明するのが目的だったが、ほとんど昨年の踏襲でしかなかったので内容についてはむしろ先方の方が詳しいのではないかと思っていた。極めて事務的な連絡である。そういう仕事だった。  夕方の四時に校門前で待ち合わせ、私は早々に門の前に立つ。まだ残暑の残る日で、時折目の前を車やトラックが駆ける以外はグラウンドから運動部の掛け声、校舎からは吹奏楽部の間の抜けた音が遠く聞こえていた。クリアファイルに入れた企画書は決して厚くない。どんな企画になるかわからないけれど、検討を重ねるうちに自分なりにこじんまりと楽しいものになればいいと思っていた。他の委員は何かと派手なものが好みらしく、私が会議の席でそのようなことを言うとあまり芳しい顔はしなかったが、まあ中にはそういうのが一つくらいあってもいいだろう、ということでかろうじて企画が通ったのだった。おそらく、私は文化祭という空気に馴染まない。そう感じたのもそのときのことである。私を委員会に引きずり込んだ子は五月の時点で早々に辞めていた。それ以来会っていない。 「こんにちは」  唐突に声を掛けられ私は声の主を見上げる。時刻は午後四時二分。 「大橋さんですよね」  私より頭一つ分くらい上の背の、優しそうな雰囲気のお兄さん(決しておじさんではない)がいた。声は高くも低くもなくただ一音一音がはっきりと落ち着いたもので、その印象と相極まってその人の優しげな雰囲気が作られていた。 「江口さんですか」  慌てて問い返すと江口さん――企画の講師の先生――はにこりと笑って頷いた。 「昨年担当してた子とは、『来年はないねー』って話をしてたんだけどね。こうしてまたお呼ばれしていただいて、まったくありがたい話だ」  初対面の江口さんはそのように言い、まるで昔からの知り合いのようにフランクに語りかけてきたのだった。私は、はぁ、と呆けて返す以外の返し方を知らなかった。  それから私たちは校舎に入り、四階の小会議室に入る。電気を点けてエアコンを入れ、一番上質そうな椅子を選んで引くと、 「ああ、ありがとう」  と江口さんをそこに腰掛けさせる。それから私はホワイトボードの前に立ち、水性ペン片手に口を開いたのだった。がちがちに緊張していた。理由はよく覚えていないけれど。しかし江口さんはうんうんと耳を傾け、時折ささやかな質問をし、それに私が答え、間もなく企画概要の説明が終わる。 「他に何か質問とかありますか」  と私が訊ねれば、 「いや、大丈夫。ありがとう」  と江口さんが返す。  時刻は午後四時半を回ったくらいの頃で、思いの外早く終わってしまった、という印象だった。私が早口だったせいが多分にあるのだが、いずれにせよもう喋ることがないので私はいよいよ困ってしまうのだった。江口さんはパラパラと企画書をめくり直し、時折一箇所で目を留めてはさっと読み流し、先へ進んでいく。その表情は穏やかに不変で、まったく気に留める価値のないもののように映っているのかと思うとほんの少しだけ淋しい気もしたのだった。運動部の掛け声や吹奏楽部の間の抜けたロングトーンが窓越しにぼやけて聞こえる。静かだなあと何となく思った。その穏やかな流れでふと、言葉が零れる。 「去年はどんな感じだったんですか」 「去年か。どんな感じって……どんな感じだろうなあ」  江口さんが手を止め顔を上げ、視線を上に向けて少し考えるが首を横に振って苦笑する。 「うん、お世辞にも満員御礼とはいえない客入りだったかな。普通の教室だったところで朗読した。お客さんは小さい子とそのお父さんお母さん、あとはおじいちゃんおばあちゃんかな。ここの学校の子は一人もいなかった。朗読した場所は祭りの本会場とは離れたところにあって、ちょっと具体的にどの辺りかは忘れちゃったけど、じっと耳を澄ませると遠くにわいわいがやがやと祭りの声が聞こえてきたのを覚えている」  おそらく裏門の辺りのことだろう。 「朗読会は二回やったのかな、たしか。十時からと午後の二時からと。どちらの会も、そこだけお祭りの雰囲気が薄くて、学校の敷地から切り離されてみたいにのんびりした空気だった。朗読会が始まるまで僕は教室の前の方で小高い椅子に座っていた。僕の周りにはレジャーシートが敷かれていて、そこに小さい子とそのお父さんお母さんが靴を脱いで座っていて、教室の後ろの方には教室で使うような椅子があってそこにはおじいちゃんおばあちゃんが座っていたのかな。みんな始まるまで一緒の人と話をしたり、本を読んだり、ぼんやり外を眺めたり。あるいは教室の中を物珍しげに見回したり、小さい子は見知らぬ子とおっかなびっくり遊んでみたり。僕は小高い椅子に座っていたから、そういう様子がよく見えた。みんな自由に、のんびりとしていた。想像できるかな。うん。そういう雰囲気の中で一人だけばたばたしていたのが昨年の担当の子だった。真っ黒な無線片手に教室の外で忙しそうにしててね、もっとのんびりしてもいいんじゃないかなあと僕なんかはぼんやり思ってたかな。もっとも、彼女がそういう風に頑張ったからあの場ができたわけだけど。彼女は最終調整に入ったみたいだった。間もなく企画が始まります、みたいなことを無線で本部に連絡していたのだと思う。でも彼女が忙しくなればなるほど、そこはどんどん静かに世界から切り離されていくように感じられた。僕はすっと背を伸ばして、深呼吸した。手の中の朗読台本の感触を確かめた。そのときは午前の部だったからまた午後にあるのだけど、初めてやる場所での朗読だから僕もそれなりに緊張していた。と、そこで若いお母さんに話しかけられた。 ――朗読会って聞いたから年配の女性を想像してたんですけど、随分お若い方だったんですね。 ――それはよく言われます。まあ、若い人間が朗読をするのは珍しく思われるものなのかもしれません。 ――普段は演劇とかされているんですか。 ――いえ、僕は朗読専門ですよ。確かに演劇をやられているかたが傍らで朗読をするというのはよく聞く話です。 ――私も昔は演劇部で、天の声って言うのかしら、ナレーションみたいなこともやってたから、朗読をやるって聞いて興味を持ったんです。 ――そうなんですか。朗読と演劇の違いはもちろん動きの有無が一番に来るんですけど、僕が感じる一番の違いはお客さんとの距離だと思っています。僕は朗読者としてお客さんに語りかけるのですけど、お客さんを引き込むというよりは僕がお客さんの側に行くようにしています。けれど僕という存在はあんまり意識させたくない。僕の目線で見る物語とお客さんの目線で見る物語が重なればいいなと思ってます。物語の面白さを伝えるのではなく共有できるというか。 ――ああ、なんとなくわかるような……。 ――だから、朗読する物語もお客さんに合わせて選ぶのが良いのです。今日だったら、のんびりとしたささやかな話がいいんじゃないのかなって気がします。 ――少なくとも、勇猛果敢な冒険譚ではない。 ――そうです。 ――じゃあ今日朗読されるのもそういうささやかなお話になるんですか。 ――さあどうでしょう。なんでこれなの、って作品が思いのほか場の雰囲気にフィットすることもあるものです。まあ、それは始まってからのお楽しみ、ということで。  そんな話をするうちに開演の準備が整ったみたいだった。担当の子が暗幕をかけると、教室はほどんど真っ暗になった。でも僕にだけかろうじて日が射すようにしていたから、薄らぼんやりと中の様子を見渡すことができた。さっきまで談笑していた人も、色々なものに気が散っていた子も、みんな視線を僕に向けるのがわかった。担当の子は後ろから僕に、オッケーです、と耳打ちすると、教室の隅の暗がりにスッと溶け込んだ。もう彼女はいない。暗がりにいるお客さんと、一人だけ日の射すところにいる僕。お客さんからどういう風に僕が見えているのかを考えたら、僕が読むべき物語が決まった。それしかないと思った。文化祭の気配は壁に掛けられた時計の針の音よりいよいよ遠くなり、そこには僕とお客さんしかいなくなる。十分に気配が静まるのを待って、僕は口を開いた」  パン、と江口さんが手を叩く。はっと私は我に返る。 「ま、そうやって朗読した物語が打ち合わせと全然違うものだったから、後で彼女にはこっぴどく叱られたけれどね」  真横から射す夕陽が江口さんの横顔を橙色に染め上げる。向かいの壁に真黒の影が映る。時計を見る。五時を回ったところだった。ここは小会議室で、企画書の説明を終わった後小話をしていたことを思い出す。江口さんが鞄に筆記用具をしまっているのを見て、私も慌ててホワイトボードを消したのだった。  校門まで江口さんを見送る。運動部の掛け声も、吹奏楽部の間抜けな楽器の音もすっかり止んでいた。音のない校門は静かで、ひたひたと歩く足音二つがよく響く。 「何かわからないこととかあったら連絡ください」 「うん、良い朗読会になるといいね」  江口さんは頷いた。  くるりと背を向けた江口さんの後姿を見続ける。夕闇は空の端に迫り、私は誰からも取り残されたような心地がする。その時私は、朗読会の教室で隅にスッと隠れた前任者と自分を重ねていたのだと思う。江口さんの話を通じてみた昨年の景色は、まるで羊飼いと彼の子羊たち、あるいは小さな神さまとその純朴な子どもたちのようだった。羊飼いや神さまが大事でささやかな話を彼らに語りかける。その様子を輪から外れた前任者(あるいは私)は、仲間はずれにされたような心地で見ていたのかもしれない。  日が沈む前に、帰らなければならないと思った。  文化祭は十一月の頭にある。どこにでもあるようなごく普通の文化祭だ。出店とささやかな催しごとと、目玉イベントとして聞いたこともない芸人やアーティストのライブがある。それでいて実際に参加したり運営したりする側は、一生の思い出、と言って後に卒業アルバムにその記憶を書き連ねる。文化祭に向けて一瞬一瞬に力を尽くし(少なくとも当人たちはそう信じている)、傍から見ればまったく瑣末な事柄にも彼らは真剣に一時間二時間と平気で議論を重ねるのだ。  かく言う私も、九月の一件以来自分の心に火がついたような心地でいた。ずっとふわふわと曖昧だった朗読会のイメージがフィックスされたからかもしれないし、江口さんの話を通じて見た景色に心奪われ憧れたからなのかもしれない。いずれにせよ、「まるで別人」なのだという。たしかに備品の手配からビラの作成まで、実に精力的にこなしたものだと我ながら感心する。  そんな私を見て、 「チエ先輩みたい」  と言ったのは三年生の先輩であった。私はホチキスの手を止めその方を向いた。当日配布の進行表を作っている最中だった。  チエ先輩とは朗読会の前任者である。今はもう大学生で、江口さんを世界のどこかから呼んできた人であるが、私自身には面識のない、名前や功績や噂を通じてのみ知り得る人であった。 「企画にすごい命かけててね、見てるこっちが心配になる人だったよ」 「そうだったんですか」 「うん、完璧主義だったというか。どんな瑣末なことにも一切妥協しなくて、企画運営者の鏡みたいな人ではあったんだけど、張り詰めていたものが弾けたら立ち直れないんじゃないかなあって思わせる人でもあったかな」  うんうん、とその人は腕を組み天井を見る。 「真理ちゃんもね、適当に力を抜いてもいいんだからね。君が倒れたら元も子もないでしょう」  憎めない顔でニッと笑う。そんなことわかってます、という言葉が喉元まで出掛かり、なんとか飲み込む。 「さて、そろそろ帰ろうよ。もう七時だ。俺はおなかが減った、けれど真理ちゃん残して帰れない、作業はまた明日にして今日はもう帰ろう」  途中リズムをつけて歌うように先輩は言った。私はしぶしぶ手を止め、身支度をするのだった。  その帰路で私は『チエ先輩』について訊ねた。不意に興味が湧いたのだ。江口さんとはどこで知り合ったのか、そもそもなんで朗読会をやろうと思ったのか、元々そういう趣味があったのか。 「うーん、全部は知らないなあ。でも元々本は好きだったみたいだよ。なんかムツカシイのを読んでたのは覚えてる。成績優秀才色兼備の完璧主義、って言えば人となり大体想像はつくでしょ」  つまり成績平凡才色願望の事なかれ主義の私とは正反対のタイプだ。 「それでもチエ先輩にはその完璧主義に適うだけの力があったから、傍から見ていても、ああこの人ならやってくれる、って安心できる側面もあったんだ。けど真理ちゃんはなあ……」 「安心できませんか」 「うん、正直」  くらりとする。 「どっか遠くへ行って帰ってこなくなりそう。必死だったりすごく頑張っていたりするのはとてもいいと思うんだけど、ほら、文化祭だけが全てじゃないでしょう。テストとか成績とか、卒業後のこととか、気にしなきゃいけないことっていっぱいあるわけだよ。今の真理ちゃんを見ていると、朗読会に全てを費やして燃え尽きちゃうような気がする。それで人生棒に振って後で恨まれるのはヤだなあ」  先輩はからからと笑った。この人は笑顔で毒を吐く。  余計なお世話だと言ってしまえばそれまでなのだけど、先輩の言い分がまるで間違っているとも思わなかった。たしかに傍から見ればとても燃えているように見えるのだろうし、自分自身生まれてこの方十六年、未だかつて感じたことのない充実感で日々を過ごしている自覚があった。けれどそれは頑張ろうと思って頑張っていることではない。自分に無理やり鞭を打ってやっていることではない。そうすることが当たり前だと思ったからやっていることなのだ。あの景色を再現するために必要なことを逆算していったら必然的にあれもこれもとやるべきことが挙がり、それを懇々とこなしているに過ぎない。周りはそれを指して頑張っていると言うかもしれないが、そんな具合だから自分では頑張っているという自覚がない。自覚がないんだろうなあということをぼんやり他人事のように思うだけだった。チエ先輩も、私と正反対だけどきっとそんな風に思っていたに違いない。 「先輩はどうなんですか」 「どうって」 「文化祭に燃えてないんですか」 「俺は生まれてこのかた十八年、無理と努力をしないを信条にしてきたさ。のんびりだらだら生きたいねえ」 「はあ」 「それに、こういう適当な人間が一人くらいいた方が、組織ってのはうまく回るんじゃないかな」  そうして先輩はあくびをする。  十月の下旬、ちょうど文化祭の二週間前に私はチエ先輩に会った。メールをしたのだ。返事はその日のうちに返ってきて、今度の週末に駅前の喫茶店で、という話になったのだった。  なぜその時期に会おうと思ったのか、明確な必然性はなかったと思う。別に話をするだけなら文化祭が終わった後にのんびりやればよかったのだけども、出来る限り早く会わなければならないと思っていた。ただ、どんな人があの朗読会を始めたのか、見てみたかった。それだけと言えばそれだけだ。しかしそれだけの理由で人を呼び出す自分に半ば呆れていたのも事実だった。 「企画の具合はどんな感じなの?」  チエ先輩はアイスカフェオレをストローでかき混ぜながら訊く。からころと氷が鳴る。 「もうほとんどやることはなくて、来週辺りに公民館にビラを張らせてもらおうと考えているくらいです」 「順調なんだね、それはよかった」  チエ先輩はストローに口をつけた。白いストローを灰色のカフェオレがつつつと昇り、薄い唇に吸い込まれていく。喉が、こくり、と一度だけ動いた。伏せていた長い睫毛がぴくりと動き、視線がこちらに向けられる。 「江口さんにはもう会った?」 「九月の半ばに一回だけ」 「変な人だったでしょ。適当というかいい加減というか。私の一個下の立浪そっくりで」 「はい」 「去年やったときもね、初っ端からいきなり予定してたのと全然別の作品を朗読してね。心臓が止まるかと思ったのよ」  チエ先輩は苦々しく顔をしかめると、窓の外に目をやった。小さい鼻がツンと上向いている。髪はショート。色は黒。 「それで、要件って何だっけ。メールにはええとたしか」 「配線の話と、緊急時の対応についてです」 「でもそれって引継ぎに一通り書かなかったっけ」 「読んでみたんですけど、ちょっとわからないことがあって……」  半分本当で半分嘘である。引継ぎ資料を読んだがわからないところがあった、というのが本当で、それが要件だというのが嘘である。チエ先輩は、ええとたしか、と指でこめかみを押さえながら質問に答えてくれた。私はメモを取りながらちらりちらりとチエ先輩の顔をのぞき見る。伏せた視線が追う先、唇からのぞく形の良い歯、首から下げたネックレス、カフェオレの隣に置いた携帯電話のストラップ。それらを見ることで何がわかるつもりでいたのかといえば、たぶん結局何もわからなかったのだと思う。チエ先輩という人の人となりも、江口さんとの繋がりも。ただ気配だけでもいいから、微かでもいいから感じたかっただけなのかもしれない。卵型のよく磨かれた爪、薄い手の甲、細い肩。 「まあ、こんな感じかなあ。後は何か質問とかある?」  去年の文化祭、チエ先輩はどういう心地で江口さんの朗読会を眺めていたのだろう。教室の隅で腕を組み、わきの下に無線を忍ばせて、どんな風に江口さんの背中を見ていたのか。薄い唇をキッと真一文字にして凛としていたのか。だが、チエ先輩その人を目の当たりにし、正面から向かい合ってようやく自分の本音が見つかった。 「なんで朗読会をやろうと思ったんですか」  あんな回りくどいことをしないで、初めからこう訊いておけばよかったのだ、と口にしてから思った。結局、私が知りたかったのはそういうことなのだ。企画をより良いものにするというお題目なんかそもそも不要で、あの朗読会、あるいはその発想のルーツを知りたかったのだ。それを知り、その感慨に耽り、彼らの視点で見るものに、私は言いようのない魅力を感じていた。つまり、私は彼らの熱烈なファンになっていたのだ。  チエ先輩はきょとんをした顔をしたが、今まで見せたこともない顔で安らいだ。 「朗読会をやろうと思った理由を喋るより、江口さんでなければならなかった理由を喋るほうが、たぶん正確に本質を伝えられると思う。なんて言ったらいいんだろう。率直に言っちゃえば、私の直感。この人を呼んでみたい、という第六感」  うん、とチエ先輩は頷く。ゆっくりと言葉を選ぶ。言いたいことは決まっていて、それをどういう順番で並べるか、一言一言選んでいるように見えた。 「私が江口さんを最初に見つけたのは、博物館だった。駅から五つくらい行ったところにあってね。そこで江口さんは案内をしていたの。受付に座って、パンフレットとリーフレットを渡して『ごゆっくりどうぞ』って言うの。そのときは何とも思わなかったんだけどね。それでその博物館では、午後三時になると職員の人が館内を案内するツアーをやっていて、私が行ったときのその職員が江口さんだった。江口さんはまだ新しいスーツを着て、私とほとんどぼんやりしたおじいさんを連れて館内を案内していったのね。あれが何とか古墳から出土した何とか式土器で昔の人たちはあれに穀物を貯蔵していたのです、とか紹介していった。ひんやりとして薄暗い館内に、江口さんの声がよく響いた。受付で聞いたときとはまるで別の感じ。何が違うのかはよくわからない。機械が喋っているみたいに正確な発音なんだけど、でもそれ以上の何かがあった。聞いていて、すごく心がふわふわした。江口さんが一言口にした瞬間から、ひんやりとして薄暗い雰囲気が変わったというか。……って言うとなんだか一目惚れしたみたいで恥ずかしいんだけど、まあ、一目惚れと言えば一目惚れになるのかな。たぶん、何を言っているのかよくわからないと思うけれど、とにかくそういうことなの」  と、チエ先輩は首を傾げた。やっぱり上手く言えなかった、という風に。けれど私にはわかる気がする。江口さんの言葉には聞いている側をどこか遠くへ連れて行ってしまう力がある。 「それでピンと来たのよ。この人で企画をしたいって。ツアーが終わった後、それとなく江口さんに近づいて、話をしたの。いきなりうちの高校の企画に出てください、とは言えなかったから、少しずつ、ゆっくりと。何回か通ってるうちに、江口さんのことも色々わかってきた。そのときに、昔趣味で朗読みたいなことをやっていた話も聞いて、じゃあ朗読会やりましょうかって話になったのよ」  それはいつぐらいのことだったのだろう。 「それが夏休みの終わりぐらい。九月に入ってから委員会に企画書出したときは、そりゃもうすっごい反応をされた。まず今から新規企画なんて間に合うのかって話。特にパンフレット関係。そこはなんとか無理やりねじ込んでもらった。次に朗読会をする場所の話。そこも相当無茶を言って時間と場所を分けてもらったわ。後は予算とかそういう話があったんだけど、一番説得に困ったのは江口さんのことだった。だって委員会のメンバーにとって、『江口さんって誰?』って話じゃない。職業は博物館職員、特にサークルとか活動実績があるわけでもなく、まあ言ってしまえばなんて事のない一市民。説得するには目の前に連れてきて朗読してもらうのが一番手っ取り早いんだけど、みんなそんな暇なんかあるわけがない。ほとんど頓挫しかけたんだけど、さっきも言った通り、無茶に無茶を重ねてなんとか無理やり形に持っていったというわけ。受験勉強なんかそっちのけだったから、親にも泣かれるわで散々だった」  チエ先輩は懐かしそうに目を細める。朗読会をやったことを全く後悔していないようだった。当たり前だ。江口さんの朗読には、それだけの努力や犠牲を払う価値がある。それは今だからわかるし、そのことを理解できているのは今の委員会のメンバーの中で私ただ一人しかいない。 「だから江口さんとは『来年はないですねー』って話をしてたんだけどね。どういうわけか今年もこうやって引き継いでくれる子が現れたのは、なんていうか、私が言うのも変だけど、驚くというか呆れるというか。でもよかったって思う。私のやったことがまったく誰にも理解されることじゃなかったってわかって……。ありがとうね」  そう言ってチエ先輩は私に頭を下げた。そんな高尚な心持で始めたことではなかったので、私は困ってしまう。その一方で、この人には敵わない、とも思った。頑張ったという言葉では言い表しきれないほどの努力と、その背景にある確固たる信念の鋭さと固さは、矮小な私が直視するには眩しすぎるものだった。私はただ憧れているだけの馬鹿な子どもだ。もしチエ先輩と同じようにメンバーの猛反発に遭ったとしたら、今の私にそれを押し切れる自信はこれっぽっちもない。先輩たちに窘められて江口さんに「ごめんなさい、企画通りませんでした」と頭を下げるのが関の山だ。立浪先輩はチエ先輩がもみくしゃにされるのを見てきたから、お前は力不足だと言ったのだ。  午後四時を回った頃に私とチエ先輩は店を出た。そして駅の改札で別れる間際、チエ先輩は私に手を差し出す。 「良い朗読会、楽しみにしてるね」  私はチエ先輩と約束をする。  それから三日ほど、私はいよいよ限界を忘れたようにきりきりと働いた。いくら動いても疲れを自覚することもなく、頭は未だかつてないくらい冴えていた。周りも同じような雰囲気だったせいもあるかもしれない。学校全体は文化祭に向けて加速的に雰囲気が盛り上がり、校内のいたるところで看板や出し物の準備が進められていった。吹奏楽部が練習する音が連日夜まで聞こえた。立浪先輩は口にこそ出さないものの「こういう雰囲気は苦手だ」という顔をして委員会室の隅でひっそりと作業をしていた。  しかし私の勢いはそれから徐々に弱まっていくことになる。きっかけはある疑問だった。チエ先輩に「楽しみにしてるね」と言われた良い朗読会であるが、良い朗読会とは何だろうとふと思ったのだ。ずいぶん初歩的な疑問だなあと最初は自分の間抜けさ具合に苦笑していたのだが、考えれば考えるほどにわからなくなってくる。四月の時点では正直に言えば良し悪しはあまり深く考えず前年の企画書の手順に則って実行することに主眼を置いていた。そして九月に江口さんと会ってからは江口さんとチエ先輩が実現した風景を再現することを目標としてきた。しかし先日チエ先輩と会ってからは、そういう風に再現することしか考えてなかった自分を恥じ、それではいけないと思うようになった。つまり今のままで自分の価値観での良い企画・悪い企画という区別がなかったのである。驚いた。よくそれで今までやってこれたものだと我ながら呆れた。なので慌てて良い企画何ぞやかと考えるのだが、それがなかなかわからない。お客さんがたくさん来るのが良いことなのか、少人数でも来たお客さんが満足してくれることが良いことなのか、あるいは文化祭全体の企画の中で朗読会というものがどういう意義を持つのかその内容が重要なのか。そして何よりも、私は"良い朗読会"を実行できるのか。自分の企画書を見返してうんざりしてしまう。ただ漠然と、ちっちゃい子が喜んでくれたらいいなあ、と思っていた自分が馬鹿みたいに思えて仕方なかった。  そのような私の内面の不調はたちまち外面に出る。作業能率は落ち、委員会の話し合いではぼんやりとし、週末には自覚していなかった疲労が表出してとうとう寝込んでしまった。結局"良い"の中身は見つからない。もう今さらそういうことを考えているような段階ではないのに、足踏みしている自分に腹が立って仕方なかった。布団の中で泣きじゃくる自分はますます惨めだった。大丈夫? と尋ねるメールが何通か携帯電話に溜まっていたが、返信する気がどうしても起きなかった。寝ても醒めても悪夢を見ているような心地だった。  結局二日間寝込んだ。数日ぶりに顔を会わせたメンバーは気味が悪いくらい優しい。この頃大橋さんはすごい頑張ってたからね、溜まってた疲れが出たんだよ、こっちは大丈夫だから任せて、何か悩みがあったら相談してね。吐き気がした。いっそ罵ってくれたらいいのに、と頭の隅でちらりと思う。優しくされて辛いと感じたのは初めてだった。 「ガタガタだなあ」  と言ってけらけら笑うのは立浪先輩だ。ほら言わんこっちゃない、という風に飄々としている。いっそ罵られたらいいのにと思う一方で、いざそういう風に笑われても、そうですね、と軽く流せるような余裕もなかったので、私はつい憮然としてしまう。  しかしガタガタでも何でも、朗読会本番は間もなくやってくる。もはややるしかなかった。結局"良い朗読会"とは何なのか自分なりの基準は持てなくても、朗読会という形式を運営するために必要な手順は客観的に決定されている。今はそれに従い実行することに主眼を置く外なかった。不思議なもので、そう考えて実際に体を動かしていると、いくらか気が晴れるのだった。  本番は今週末に迫っていた。朗読会は二日目日曜日の午前十時からと午後二時からの二回行なわれる。その最終調整のために、木曜日は江口さんと顔をあわせることになっていた。数えて二回目である。どういう顔で行けば良いのかわからないまま、二回目の顔合わせに臨む。  放課後、江口さんがやってくる。九月に会ったときと変わりない様子だった。校内を見回し、お祭り雰囲気だねえ、などと呑気なことを言っている。二人で散歩をするように歩き、当日どこに何があるのかを説明する。私が先導し、その後ろを江口さんがゆっくり歩く。正門前や体育館付近、ステージ周辺など当日は人で溢れるところを通り過ぎ、裏門の方の校舎へ行く。ここは文科系の催しごとが多く、展示企画が主流だ。その三階の一角の教室へ行く。三年生の教室で、ちょうど去年朗読会をやった場所と同じ教室であった。控え室はその上の教室になる。そこで私と江口さんは当日の席の位置を確かめ、客席をどのようにセットするか最終的な確認を行なった。 「できるだけ全体を見渡せるところがいいね。声が遠くまで届くから」  江口さんが前に立ち、私は後ろで江口さんの声を聞き、大丈夫かどうか知らせる。そんなやり取りを続ける。当日がどうなるかなんて、まるで想像がつかなかった。ここに三日後の本番、人が集まるのだろうか。しかしそれよりも、来てくれた人たちに対して自分は何ができるだろうか。そちらの方が気にかかっていた。  打ち合わせの最後はリハーサルだった。試しに江口さんが一作朗読し、声の聞こえ方やタイムラインの再確認を行なうのだ。 「じゃあ、『浦島太郎』にしようか」  ポンと手を叩き江口さんが言うと、私は間髪入れずに 「なんでですか」  と問い返す。 「んー、なんとなく。今はこれが合ってる気がするから。童話の中では『浦島太郎』が一番好きだっていうのも理由の一つ」  そう言って江口さんはカーテンを閉めた。当日はこれが暗幕に変わる予定であるが、それも検討し直した方がいいかもしれない、とふと思った。もしかしたら、暗幕じゃなくて普通のカーテンの方が良いこともあるかもしれないから。  私は椅子を一つ引き、教室の最後部で江口さんと真正面から向かい合うところに座った。スッと背を伸ばすと、教室中をよく見渡せるのがわかる。当日は机がなくて、前のほうはレジャーシートになっていて、江口さんは脚の長い椅子に座っているのだ。脚の長い椅子の代わりに江口さんは今日は教卓に腰掛けている。私は江口さんを遠くに見ていた。 「じゃあ、始めるよ」  江口さんはそう宣言すると、深く息を吸った。初めてなのに懐かしささえ憶える図だった。辺りは静かだった。西日がカーテンをオレンジ色に染め上げていて、教室全体が仄かに赤く染まっていた。私はごくりと息を呑む。江口さんの朗読を聞くのは、今この瞬間が初めてなのだということに今さら気付いた。  むかしむかし、あるところに浦島太郎という若者がおりました。  ある日浦島太郎が浜辺へ行くと、一匹の亀が村の子どもたちにいじめられていました。  やい、やい、こののろまなかめめ!  子どもたちは棒で亀を突っつきひっくり返します。見かねた浦島太郎が、  こら、かめをいじめるのはやめなさい  と子どもたちを叱りつけると、子どもたちは散り散りに逃げていきました。  だいじょうぶかい  浦島太郎がひっくり返った亀を起こしてやると、亀はふるふると首を横に振り、  ああ、おかげでたすかりました  と言いました。  おなまえはなんというのですか  と亀に訊ねられて浦島太郎は自分の名前を言いました。  うらしまたろうさん、たすけてくれてありがとうございました  おれいにりゅうぐうじょうへつれていってあげましょう  さあ、わたしのせなかにおのりなさい、さあ  そう言って亀は浦島太郎に背を向け、背中に乗るよう催促しました。  浦島太郎が亀にまたがると、  それ、いきますよ  と亀は海へ泳ぎ出し波に乗り、沖まで行くとぐっと身を沈めて海の深く深くへと泳いでいきました。不思議と息は苦しくありません。  浦島太郎が振り返ると日の光に煌く水面が遠のいていくのが見えました。しかし前方を見てみると、ずっと遠くにぼんやりと七色に光る灯りがあるのがわかります。  あれがりゅうぐうじょうです  と、亀が言いました――    一段と暗くなった教室に江口さんの声が響く。ここはもう海の底だった。灯った街灯がカーテンを仄かに白く染める。江口さんの輪郭はほとんど闇に蕩けて曖昧になっていた。  亀に乗った江口さんと私は竜宮城に降り立つと、そこでエビやヒラメの踊りを楽しみ、三日三晩を楽しく過ごした。それから、どうぞごゆっくりしていってください、と引き止めるお姫さまを説得しいざ陸へ帰ろうという間際、私たちは漆塗りの箱をもらう。決して開けてはなりませんよ、と念を押されて約束する。いざ地上に帰ってくるとそこはかつて私たちがいた時代とは異なる時代で、混乱するまま箱を開けてしまうともくもくと煙が立ち昇り、私たちはおじいさんとおばあさんになってしまうのだった。  話し終えた後しばらくの間、江口さんは沈黙を保っていた。しんと静まり返った空気はもうこれ以上どこにも行き場がないようだった。時代に取り残され体も老いた浦島太郎にもはや為す術がなかったように。閉塞しきった雰囲気に私はたまらなく不安を感じる。不意に江口さんはぱっと顔を上げて、 「という感じだけどどうだった?」  声色をいつものものに戻す。するとそこは三年生の教室で、時刻は午後五時を回った頃で、私は大橋真理だった。  私は首を縦に振り、大丈夫だということを伝える。 「じゃあ当日はこんな感じでいいかな」 「はい、よろしくお願いします」  不意に教室の外が騒がしくなる。声の主は複数で、まっすぐこの教室に向かっていた。私と江口さんは顔を見合わせる。誰だろう。  声の主たちは勢いよく扉を開くと大声で談笑しながら教室に入ってきたが、私たちの姿を認めるやそれ以上の大きさの声で「うわっ」と叫んだ。ジャージ姿の男子生徒たちは心底驚いているようだった。なるほど無人と思っていた教室に不釣合いな二人が無言で電気も点けずに立ち尽くしていれば、それは驚くだろう。ふわふわした心地で一人納得し、なんだか急に楽しくなって私はにやけてしまった。 「今日はもうおしまいにしましょう」 「うん、そうだね」  教室を出た私の足取りはとても軽い。理由はいくつかある。一つ目は、江口さんの朗読に改めて自信を持ったからだ。これを聞いてつまらないと思う人はそうそういないぞ、と確信したのだった。二つ目は、"良い朗読会"の中身が見えたからだ。初めから小難しい理屈なんかいらなかった。元々朗読に興味があった人もたまたま立ち寄っただけの人も、そこにいた人全員がどっぷりと江口さんの物語りに浸れるかどうかが肝心なのだ。浸った結果どれくらい満足できるかは折り紙付きだ。ならば私が企画の運営者としてできることは、思いっきり江口さんの物語りに浸れる環境を作ることに他ならない。万事が滞りなく進むよう万全を尽くすことが私のミッションだ。口にしてみれば特に目新しくも珍しくもない、ごく普通のことであるが、私はそこに辿り着くまでひどく回り道をしたのだと思う。そして三つ目は、私自身が江口さんの朗読を好きなことに気付いたからだった。なぜが、どこが、と訊ねられると「全部」と答えてしまうくらい漠然とした感覚であるが、今この瞬間になって改めてこの企画を担当できて本当によかったと思う。チエ先輩の予感は、確かに正しかったのだ。  一日目は滞りなく過ぎた。天気は快晴、吹く風は肌に心地よく、あちこちから聞こえる音や声は活気に満ちたものだった。活動的な雰囲気の裏にあるのんびりとした空気を私は鼻の奥で嗅ぎ取る。  やがて日は暮れ夜になると、「一年生は帰って明日に備えること」という委員長の号令で私たち一年生は帰路につくことになった。立浪先輩は「いいなあ、俺も帰りたい」とぼやいていた。  目が醒めたとき、いよいよ今日なのだなあと沸々とやる気が湧くような心地の一方で森の奥の泉のようにしんと静まり返る心地でもあった。非現実的だった。私が私でないような気がした。こんな自分がいたのかという驚きの方が正確かもしれない。不安も心配もなくて、やるべきことをやろうと思っていたし、それを私はきっと何の誤りもなくできるという自信もあった。頭が冴え渡る。まだ夜は明けていなかったが窓の外には朝がすぐそこまで迫っていた。よく晴れた、いい日になる気がした。  江口さんは九時前に来た。十時が初回だ。普段と変わらない格好――今回のコンセプトを考慮するとスーツはお客さんとの間に距離ができるだろうからよくない、と二人で話した――であったけれど、雰囲気はどことなく固いものだった。 「緊張してますか?」 「まあ、それなりに」  江口さんは苦笑する。 「真理ちゃんはすごく落ち着いている風に見える」 「そうですか?」 「うん」 「そんなことないです。でも、やるしかないなあ、ってわくわくしてる気もするんです」 「逞しいね」  もう逃げられないならやるしかない。と言ってもやるべきことは当日よりそれ以前に済ませてあったので、今日この日にすべきことはあまりないというのが正確なところである。過去の蓄積があるから、私は自信を持てているのだろう。もっとこうすればよかった、ああすればよかったという反省点が見つからないくらい私が能天気なだけかもしれないけれど。  私と江口さんは早速朗読の会場となる教室へ行く。大体の準備は昨日のうちに済ませてあるので、ここでは最終的な微調整をするだけで良い。タイムスケジュールの確認、江口さんの座る場所と教室の雰囲気の調整だ。  江口さんは脚の長い椅子に座る。江口さんは台本を使わないので、お客さんからは江口さんの全身が見えることになる。紺色のズボンに黒のセーターという江口さんの格好は、その前にしゃがんで見上げる小さな子にはどのように見えるだろう。たぶん、すごく大きな人に見えるだろう。江口さんの肉声で教室全体が満たされるとそこはきっとたちまち物語の世界になる。昨日のようなのどかで活気に満ちた音や声が届かないくらい遠い世界に。 「もしかしたら、今年も予定と違うものを読んじゃうかもしれない」  不意に江口さんが言う。去年の反省だ。けれど私はそんなことは構わないと思う。江口さんはその場の雰囲気に最も合っていて聴いている人たちをふわふわさせられるものを心を込めて朗読してくれればいい。聴いている人はきっと納得してくれる。もしそれで予定と違ったじゃないかと後で委員会の反省会で指摘されても、それはきっと問題じゃない。この朗読会にまつわる責任の一切を私が負うのだから、私がいいと言えばそれでいいのだ。 「構いません。江口さんが良いと思うやり方でやってください」  江口さんは一瞬だけ驚いたような顔をするが、すぐにわかったと頷いた。  三十分前に開場する。最初はわくわくしながらお客さんが来るのを待っていたが、中々現れない。五分経っても誰一人としてお客さんは来なかった。私は時計と入り口の外を見比べるが、廊下は静まり返ったきり音一つしない。それから一分、二分、人が現れる気配はない。 「ちょっと見てきますね」  と言い残して私は廊下へ出る。会場へ案内する張り紙や看板に不備はない。もう文化祭自体は始まっていて、無線連絡で状況はある程度伺えているから人がいないということはないのだけども、こちらの校舎はひっそりと静まり返ったままだった。集客力の低い企画の宿命だとは聞いていたけれど、実際に直面するとさすがに堪えるものがある。チエ先輩が「祈るような気持ちだった」と苦笑していたのも今ならよくわかる。公民館や幼稚園に広報にどれだけ行ったって、それが成果に結びつく保証はないのだ。百人の人に朗読会やりますと言って、そのうちの一人にでも「興味がある」「面白そう」と思ってもらえたなら御の字だし、それで実際に足を運んでもらえたら天に舞い上がるほど嬉しい。お客さまは神さまですと言ったのは誰だったか忘れたけれど、そんなお客さんたちは私にとって紛れもなく神さまみたいな人たちだ。けれど神さまは現れない。時計を見る。間もなく開場から十分になるところだった。  諦めて朗読会場に戻ると江口さんはのんびりと椅子に腰掛けぼんやりと遠くを見ていた。 「僕だったら、十時開演って聞いたら十分か十五分前に着くようにするかなあ」  そう言って江口さんは微笑んだ。私もそう思う。事前に繰り返したシミュレーションでは、それくらいからぽつぽつと人が現れるはずだった。 「去年もそれくらいだったよ」  わかってはいるけど、理性より不安が勝るのだった。今朝の静かな自信はどこかに息を潜め、今は不安が跳躍跋扈する。  ああだめだ、ちゃんと冷静にならないと。私はやるべきことをやってきた。あと二十分くらいある。それよりも今はお客さんが来たときの対応のイメトレをしないと――。  深呼吸。  私は企画の責任者だ。私が折れちゃいけない。 「すみません、みっともないところを見せちゃって」  私はまだチエ先輩という前例があるから、朗読会全体をイメージできる。けれどチエ先輩は白紙だった。チエ先輩は偉大だ。 「うん――あ、後ろ」  そう言って江口さんが会釈する。振り返ると、そこには小学校低学年くらいの男の子とその妹ちゃん、そして二人のお母さんが立っていた。きょろきょろと辺りを見回している。 「こんにちは、こちらにどうぞ」  と私は初めてのお客さんを教室の後ろに連れていって、進行表とアンケートを手渡した。その後彼らは江口さんの近くに座った。  それからぽつりぽつりとお客さんがやって来る。親子連れと老夫婦が主であったが、ごく稀に大学生くらいの若い人が来た。私は来るお客さんに進行表とアンケートを渡し、簡単な諸注意だけ言って自由に席に着くよう言う。そうなってからは早かった。気付けば十時五分前になり、私は接客応対の傍らで本番の準備を始める。江口さんは最初に来たお客さんと何やら談笑をしているようだった。去年と同じ風景だ。初めて見る光景なのに、去年と同じ、と思う程に既視感があった。  カーテンを閉めるといよいよ開演間近となる。談笑の声もだんだんと密やかになり、視線は江口さんに集中するようになる。この時点でお客さんは用意した席の半分を埋めるくらいだった。数で言えば二十人を少し超えるくらいだ。  時計を見る。開演予定時刻一分前。目配せをすると江口さんは直ちに頷き返す。これが合図だ。教室の出入り口を閉め、無線で手早く開演する旨を伝えると無線のボリュームを下げ、教室の電気を切る。僅かに開けたカーテンから差し込む光で江口さんの姿だけが浮かび上がる。客席の様子は、薄らぼんやりとかろうじて輪郭が見える程度だった。今のところは全てシミュレーション通りだ。私は教室の後ろの隅にそっと息を潜め、影となる。ここから先は全て江口さん次第だ。不安はもうなかった。  江口さんはぐるりと教室を見渡した。そっと目を閉じる。深呼吸をする。その息遣いの一つ一つが一番遠くにいる私のところまで伝わってくる。  やがて江口さんはゆっくりと瞼を開いた。 「今日はお集まりいただきありがとうございます。私は江口と申します。普段はしがない博物館の職員をやってますけど、時々こうやって朗読を色々なところでさせてもらってます。実を言うとここで朗読するのも二回目でして、一年が経つのは早いものだなあと思います。  さて、今日皆さんにお話するのは、ある女の子のお話です。その子はとてもとても本が好きで、朝起きて本を読んで、学校に行くときも本を読んで、学校の授業中にもこっそり本を読んで、当然休み時間も本を読んで、帰る途中も本を読んで、家に帰ってからもずっと本を読んでいるような子です。『ほんのむし』という言葉がありますが、その子はまさしく『ほんのむし』でした。  ――なんでそんなに本が好きなの?  そういう風に訊ねられたらその子は、まず『なんでそんな当たり前のことを訊くんだろう』と首を傾げて、それからこう答えるのです。  ――だって、本って面白いじゃない。  そこで私たちは続けてこう訊ねます。  ――どんな風に面白いの? 外で友達といっぱいいっぱい遊ぶ方が楽しいじゃないか。  するとその女の子はやれやれと肩をすくめて首を横に振るのです。  ――あなたってばわかってないのねえ。ちょっと、そこにお座りなさいよ。私が講釈してあげる。  ツンと澄ました風に女の子は言います。  ――そうねえ、最初は何がいいかしら……。うーん……。アレがいいわね。  そう言って女の子はパッと顔を明るくさせます。そしてがさごそと私たちに背を向けて、彼女の自慢の本たちの中から一冊の本を取り出しました。  彼女が取り出したのは、ロデリック・タウンリーという人が書いた『記憶の国の王女』という本です。  ――これを読めば、あなたでもきっと本の魅力がわかるわ。これはね、たった一冊で本を読むことの面白さを教えてくれる本なのよ。すごいんだから。  と、女の子は自信満々に言うと、よっこらせと本をうず高く積んだだけの椅子に座り、ンッ、ンッと咳払いをします。それからすぅっと深呼吸をしました。  ――『記憶の国の王女』ロデリック・タウンリー作」  朗読が始まる。ここまでは予定通りだった。 「シルヴィの生涯はすばらしいものでしたが、それを生きる機会はあまりありませんでした」  『記憶の国の王女』はこの一節から始まり、江口さんは次の一文に進むまで十分に時間を取る。すばらしい生涯なのにそれを生きる機会があまりないってどういうことなのだろう……。江口さんはお客さんがそういう風に考えることを期待して待っているようだった。  『記憶の国の王女』は物語の登場人物の視点から本とその読者の関係を語るお話である。シルヴィは『とてもすてきな大きなこと』という物語の本の主人公で、『とてもすてきな大きなこと』は『記憶の国の王女』に登場する物語だ。 「来たぞぉぉぉぉ! 読者だ! 読者だ!」  江口さんはオレンジ色の鳥になりすまして言う。それから続けてウシガエルそのものになって、うめくようにこう言った。 「ほぉぉぉんが開くよぅぅ! 開くよぅぅぅ! ほぉぉぉんが開くぅ!」  こうして『とてもすてきな大きなこと』は始まり、私たちはシルヴィの視点からあまり良くない読者である"ふくれっつらの男の子"をこっそり見上げるのであった。  午前の部はおよそ一時間で終わった。  江口さんが頭を下げるのと同時に私はカーテンを引き、光を採り入れる。そこで見たお客さんの顔はたぶん私は一生忘れない。みんな今にもどこかに駆け出しそうなくらいうずうずしているように見えた。それはただの笑顔ではない。江口さんから何かしらのエネルギーやメッセージを受け取っているような、とても満ち足りた顔だった。  アンケートを回収し、お客さんがいなくなると江口さんがこちらへやって来る。 「お疲れ様でした」 「うん、真理ちゃんも」  一時間喋り通した江口さんは消耗しているように見えた。ただしそれは喋るという口と喉の動きのせいだけではない。もっとそれ以上の何かを消耗しているように見えた。例えば、一音一音に注ぐ神経とか。 「ちょっと、上で休んでくるね」 「案内します」 「ううん、大丈夫。ありがとう」  まばらな人ごみに消えていく背中を見送る。確かに楽なことではなかっただろうけれども、あそこまで疲労するものなのか――私は今さらながら頭の上がらない心地になると共にどこか疑わしく思っていた。  私は次の回の準備を進め、それが終わるとケータリングを江口さんに届けにいく。ノックをしても返事がなかったのでそっと開けて中の様子を伺ってみると、江口さんは椅子に座って眠っていた。顔を俯け、髪はばらばらと垂れている。 「江口さん」  形だけ呼びかけてみるが、おそらく聞こえてないだろう。  眠っている江口さんはぴくりとも動かず電池の切れた玩具のように見えた。江口さんは再び動き出すのだろうかという不安さえ脳裏をよぎるほどだった。  文化祭の気配は遠い。次の回までまだ一時間以上ある。  私は「お昼ごはんです」というメモとケータリングだけ残して江口さんの控え室を去る。  午後にはチエ先輩が来てくれた。チエ先輩は江口さんと二言三言言葉を交わしたっきり話をしなくなってしまったが彼らにとってはそれで十分だったのだろうと思う。なんだか格好良く見えた。  午後の部は午前に比べてお客さんが多かったように感じられた。後で実際に捌けたしおりの数を数えてみたら、午前よりも両掌の指の数以上はいた計算になった。  チエ先輩は中列の窓よりの席に座り、江口さんは朗読をする。私は教室の隅でその様子を見守っている。江口さんの呼吸一つでその場の空気が変わる。あっという間だった。カーテンをさっと開き眩い日の光が差し込むとお客さんはほとんど例外なく呆けたような顔をして、もう終わりだったのか、という表情を浮かべていた。  お客さんが皆帰った後は簡単な後片付けをする。江口さんとチエ先輩も手伝ってくれた。(私は「結構です、大丈夫です」と言ったのだが、やると言って聞かなかったので結局二人の言葉に甘える形となってしまった。)  三人で黙々と椅子を重ねたり箒でごみを掃いたりしているうちに、私は沸々と達成感が湧いてきたのだった。しかしそれも右手をグーにして振り上げるような類のものではなく、へなへなと膝をついて座り込んでしまいたくなるようなものだった。疲れた。けれどそれは嫌な疲れ方ではない。来年ももう一度やれと言われたらちょっと考えた後に首を横に振りたくなるが、それでも今年の朗読会に関して未練も後悔もない。ただ一つ、私はやり切ったのだ、という感覚のみが残る。私が考えていた以上の数のお客さんが来てくれた、まだアンケートや感想は見ていないけど少なくとも私が見ている限り残念そうな顔をしている人はいなかった、特にこれといったアクシデントも事故もなかった、万事がうまくいった。文句はない。「お疲れさま」というチエ先輩の言葉が骨身に沁みた。小さな高校のありふれた文化祭のささやかな企画であったけれど、誰が何と言おうが私にとってはかけがえのない経験だった。 「来年も」  戸締りを確認してから私は江口さんを見上げた。 「朗読会をお願いします、と言ったら引き受けてくれますか?」 「前向きに検討はするよ」  次回も私が朗読会を企画するかどうかは別としても、この場が来年も存在して欲しいと願う。  文化祭が終わり、興奮は学校全体で尾を引きつつも日にちを重ねる毎に緩やかに静まっていった。実行委員会の中でも来年も委員を継続すると決意する者、委員会を離れると決意する者が現れる。特に大学受験をすると決めていた――あるいはすると決めた――三年生は引継ぎ作業もそこそこに受験勉強に没頭し始めた。立浪先輩は「ああ、遊びすぎた」と言っていの一番に委員会室から足を遠のけた一人だった。立浪先輩の言動や態度は熱心な一部の人の癪に障ることが多かったため、立浪先輩が委員会を去ることであからさまにほっとした顔をする人もいた。ここはなかなか難しい組織だったのだと改めて思う。実を言えば私自身、委員会という組織自体には愛着はない。それは本祭後の反省会での批判合戦を目の当たりにしていよいよはっきりと悟ったのだ。 「真理はどうするの?」  訊ねられる度に私は言葉を濁し、曖昧な返事をした。下手に残ると答えれば縛られ、残らないと答えればずっとよくしてくれた人たちが手のひらを返す様を私は見てきたから、迂闊な返事はできない。曖昧な返事をした後には説得がつきものであったが、私は頑なに言葉を濁すことに努める。  江口さんの朗読会に対する思い入れはもちろんある。この委員会という小さな組織だって一分一秒たりとも身を浸していたくないと思うほど毛嫌いしているわけでもない。代わりに際限ないコミットメントを捧げる気にもならないだけで。  私はこれから何をしたいのだろう。  文化祭から一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、穏やかな午後の授業の合間や、夜、布団を被っているときに私は考える。朗読会という大きな目標を達成してしまった今、後に残ったのは途方もない脱力感だった。先日久しぶりに会った立浪先輩は「典型的な燃え尽き症候群だな」とけらけら笑っていた。  ――時間が経てば、いずれ見えてくるものもあるだろう。  私は惰睡を貪った。  間もなく二学期末試験を迎え、年末を迎える。委員会の件も保留にしたまま、友達と遊んだりチエ先輩と会って話をしたり、江口さんに年賀状を書いたりした。年末特番をこたつで背を丸めながらぼんやりと眺めていた。まるで糸の切れた凧みたいだと思った。誰かと一緒にいるときはとても元気だけど、一人になった途端に頭が麻痺して何も考えられなくなるのだ。  この頃しばしば想像する光景があった。想像するというよりは思い出すと言った方が正確かもしれない。  それは江口さんの朗読会だ。江口さんはこじんまりとした落ち着いた部屋に十人足らずの人を集めて朗読をしている。そこは茶色を基調とし、四つある壁の面のうち入口を挟む二つが本棚で埋められていた。窓は大きく四角に切り取られ、暮れなずむ光が差し込む。茶色の絨毯、江口さんの茶色のジャケットが夕陽を浴びて飴色に光る。江口さんは本で作った椅子に腰かけている。江口さんを取り囲む十人足らずは老若男女様々であるが一様に膝を抱えて江口さんを見上げている。それは牧師さんの説教に近しいものがあるけれど、江口さんは魂の救済を説く代わりに世界の果てしなさを語る。たとえば『記憶の国の王女』。江口さんの語る文句の一つ一つはわからないけれど、全体として彼らをどこか 遠くへ連れて行こうとしているのがわかる。ここではないどこかへ。そこがどんな場所なのか今の私にはうまく言えないけれど、頭が蕩けてしまいそうになるくらい素晴らしい場所なのだ。江口さんが立ち上がる。聴衆は二つに割れて江口さんに道を作る。江口さんはあのしっとりと落ち着いた声で物語りながら小道を歩き、書斎の扉に手をかける。そして開く。私はその先をまだ見ることができない。私が想像する光景はその先を見せてはくれない。  私がこれからやりたいことに非現実的で抽象的なものを含めて良いとするならば、私はその光景の先を見ることを選ぶだろう。それを実現するために有効で有望で現状で考えられる具体的な手段の一つが、江口さんの朗読会を企画することなのだと思う。あの文化祭本番の日、私はたしかに見えない光景の末端につま先が触れていた。お客さんが来て少なからず満足してくれたことも見えない光景を通じて得られることの一部だったのかもしれない。わからない。私は混乱してしまう。私はどうすればいい。どうしたらいい。誰も教えてはくれないけれど、それでも問わずにはいられない。ただひたすら、もどかしい。  センター試験が終わった、というメールが立浪先輩から届く。カレンダーを見る。もう一月も半ばを過ぎた頃だった。根詰めでストレスが溜まっているから一緒に遊んでくれ、というのが要旨だった。一度は断ったはずなのに気が付いたら週末に電車で数駅のところで会うことになっていた。立浪先輩はそういう人だった。  電車に揺られているととても落ち着く。このまま眠って、目が覚めたら私の知らないところだったらいい。それこそホームの反対側の電車に乗っても帰れない場所だったらいい。そんな空想がこの頃は絶えない。 「あ、俺よりもやつれてる子がいる」  十分ほど遅刻して現れた立浪先輩も負けず劣らず疲れているように見えた。 「まあいいや、真理ちゃんはお昼は食べた?」 「まだです」 「そっか、じゃあお昼にしよう。リクエストはある?」  首を横に振る。 「ならパスタにしよう。行きたいところがあるんだけどそこでいい?」  首を縦に振る。  前を行く立浪先輩の背中を見ながら私は心の内で謝っていた。テンション低くてごめんなさい、と。けれど申し訳なさ以上に頭がぼんやりしていて、それを隠すことができなかった。こればかりは立浪先輩のせいじゃない。私のせいだ。けれど立浪先輩の自由奔放な性格だったら気にしないでいてくれるかもしれない、という期待もあった。甘えと言った方が正確なのだろうけど。  店に入る。何名様ですか、二人です、では奥の席へどうぞ。そんなやり取りが虚ろに聞こえる。  席について向かい合い、メニューを広げて「真理ちゃんは何がいい?」と訊ねてくる。ナポリタンにペペロンチーノ、クリームパスタ、和風スパゲティ、ランチセット諸々。窓辺の席にはブラインドで遮り切れない光が射し、メニューがぎらぎらと照り返す。私はその中の一つを「これ」と指さし、立浪先輩が手を挙げ店員を呼ぶ。このままじゃいけない。 「試験、どうだったんですか?」 「んーまあまあだったかな。足切りはないと思う」 「すごいですね」 「でもこれからだよ。『国公立前期一発合格セヨ、ソレ以外ハ認メヌ』って言われてるからね」  立浪先輩がおどけた風に言ってみせる。私が表情一つ変えないのを見ると咳払いをして座りなおした。 「ところで真理ちゃんは最近どうなの」 「相変わらず燃え尽きたままです」 「うん。委員会、来年も続けるの?」  なんでもない風に立浪先輩は言ったけれど、その裏に細心の注意を払っているのがわかった。頬が張り詰めている。 「正直、迷ってます」 「反省会の雰囲気に圧された」 「それもあるかもしれません。……あの、先輩は私に続けてほしいと思ってますか」 「俺の立場は中立だよ。真理ちゃんの好きにしたらいい。今日この場で説得するつもりはないし、そもそもそんなつもりで誘ったんじゃないよ。と言って信じるかどうかは真理ちゃん次第だけどさ」  たぶん嘘じゃない。 「ただ、どうするのかなーって思って」 「あそこはなんだかんだ言って、嫌いではないです。好きでもないですけど。ただ、やりたいことがあるのかどうかがわからないっていうか」 「朗読会は?」 「たぶん、来年も私がやりたいって言ったらやれるんだと思います。けど」 「それは何か違う」  頷く。 「だけど、それが何とどう違うのかがうまく言えない」  再び頷く。  そう、そこなのだ。あの朗読会はやれて良かった。後悔なんかこれっぽっちもない。不思議な巡り合わせであの企画を引き継ぐことになった因果に感謝の念さえ覚える。しかしだからといってもう一度やるかと問われると私は二の句を継ぐことができない。朗読会を通じてお客さんが来て、満足してくれたことは私にとってとても励みになったし、彼らがいてくれたからこそいよいよ私は朗読会をやってよかったと確信できた。それはとてもかけがえのない経験だ、しかし。しかし、私が真に心動かされたのはそこではなく、江口さんの朗読そのものだ。正確には、江口さんの朗読を通じて見たものだ。それが最初にあったから、それを朗読会という場でみんなと共有できたらどんなに素晴らしいことだろうと思った。そしてそれは既に実現している。たしかに素晴らしいものだった。  もう一度企画を担当して、江口さんの朗読に触れる機会を作れれば私は再びそれを通じて遠いものを見ることができる。しかしそこまで自覚してしまったら、まず動機としてエゴイスティックすぎて居心地が悪いし、一歩引いて考えてみればそこに到達するまでがとても回り道のように思われた。手間暇風情を天秤にかけて眉間にしわを寄せる程度の魅力しかないのか、本当に憧れるものならすべてかなぐり捨てて突っ走るものじゃないかと言われてしまえば今の私にはうまく反論する術が見つからない。そうじゃない。そうではないのだ。手間暇を天秤にかけてもう一年委員会を続けるかどうかの判断ではないのだ。もっと、根本的なことだ。それが言葉にならない。  運ばれてきたクリームパスタを口に運びながら私は黙々と考えていた。ふと顔を上げると、立浪先輩が今まで見たこともないような優しい顔をしていた。 「真理ちゃんってさ、結構頭固いでしょ」 「え」 「全部頭で考えようとして、結局どん詰まりになる。本祭前に熱出してぶっ倒れたときと同じ顔をしてる」  恥ずかしくなって私は顔を伏せる。 「――参考になるかどうかわからないけど、俺が三年間もあそこに居座った経緯を話そうか。  入ったきっかけは実は俺も真理ちゃんと一緒でね、クラスで一緒だった奴が『一緒にアツい祭りやろうぜ!』とか言って付き合って行動しているうちに委員会の中に納まってた。で、ひと月もしないうちにそいつはいなくなった。ここまでは真理ちゃんと同じパターンだね、うん。一年目は会場整備をやってたんだけど、一番下だからほとんど小間使いみたいに雑用ばっかやってた。上に言われるままトンカチ取りに行ったり事務所に書類取りに行ったり。やりがいなんてこれっぽっちもない。いっそ辞めてしまおうかと思ったけど、やっぱり察しのいい人ってのはいるもんでさ、俺の場合はチエ先輩がその人だった。俺が悶々としてる時を狙って『立浪は頑張ってるねえ』『助かってるよ』って肩を叩くわけだ。義理堅くて単純な俺はそれだけで心が晴れたもんだ。そんなこんなで迎えた当日は雨だったけどそれなりに盛り上がって、いやあ終わった終わったと達成感に浸っていられたのも束の間、後の反省会では身に覚えのないミスで責められるわ叩かれるわ。何を言っても言い訳としか取られないような雰囲気だったから俺はただ一言『すみませんでした』と言う他なかった。そしてその腹の内で、今度こそ辞めようと決心した。  そんな時にチエ先輩が傷心の俺を慰めてくれたわけさ。だからってわけじゃないけど、まあ、義理堅い立浪青年は少なからぬ恩というものをチエ先輩に感じてしまったわけだ、『俺はこんな糞みたいな委員会組織とその連中共に愛着なんぞ鼻糞ほども感じないけど、チエ先輩その人の力になれるならどんなことでもやろう』と誓ってしまったわけだ。それを実現する方法が、チエ先輩の右腕になること、つまり組織の中に居残ることだった。  だから、それから一年が経ち、チエ先輩が三年生になって委員会からいなくなる時点で、俺はあそこを去ってもよかった。俺自身に未練はなかった。けどあの人は俺の目を見てこう言ったんだよな。 『立浪、後は任せたよ』  もちろん俺が嫌だと言えばチエ先輩はわかってくれたんだろうけど、それは言えなかった。理由は、なんだろうな? 自分に嘘をつきたくなかったんだと思う。自分に誠実でいたかったんだと思う。チエ先輩の期待に応えることが自分なりの筋の通し方だったんだと思う。我が身可愛さに筋を曲げるのが許せなかったんだな、たぶん。うん、そうだ。真理ちゃんにはつまらない意地に見えるかもしれないけど、俺にとってはそういうものが大事だったんだよ。  というわけで俺からの教訓は全部で二つ。一つは、個人的な理由で組織を利用するのはアリ。それで他の人が嫌な顔をするのを見たくなかったらそこは社交術でカバーしなさい。別に委員会の金を流用するとか悪いことをするんじゃないんだ、ギブアンドテイクの関係を結べればそれでいい。もう一つは、何が大事なことなのかを見極めること。俺の場合は、チエ先輩の犬になることではなく、自分の中で筋を通すことが大事なことだった。傍目には同じように見えても、俺の中では全然別のことだったよ。  その二つを考えてみてあの組織に身を置くことが必須じゃなかったら、遠慮なく離れていいんだと俺は思うよ。組織に身を置き続ける理由を提供するのが組織を束ねる人間の役目ってやつだ。そこは純粋に損得勘定でいいと思う」  立浪先輩は凄い人だなあと思う。私が知る限り同期の子で来年も委員会を続けようと言っている子は、やれ「来年も祭りをやりたい」だの、「このメンバーでもう一度やりたい」だの、まず組織に対する好意的な感情が根底にあって尚且つその中で(誤解を恐れずに言えば)自分が気持ち良くなれると踏んでいる。その点、立浪先輩はストイックだった。それが凄いと思うのではない。立浪先輩が立浪先輩自身のためにやったことなのだから、その点私の同期の子とはなんら変わらない。凄いと思うのは、それが自分自身を支える理由になる点だ。くだらない、と一笑に付されることもあるだろう、立浪先輩の理屈を理解できない人はきっとたくさんいるだろう。立浪先輩の歩く道に沿う人は少ない。立浪先輩は姿の見えない敵と戦ってきた人なのだと思う。見えない敵は、ある時は立浪先輩を理解できない周囲の人間の体を取り、ある時は立浪先輩が何かと戦っていることを緩やかに覆い隠し埋没させる世界の仕組みの体を取り、そしてある時はもっと有意義で効率的なやり方もあっただろうと耳元で囁く自分自身の体を取る。  孤独であることそのものは恐れるべきことではない。恐ろしいのは自分自身を疑うことだ。自分を信じることは口で言うほど易いことではないし、自分を信じ続けることはよっぽど難しい。 「何かの参考になればいいと思う」  語り終えた立浪先輩は清々しい顔をしていた。 「――チエ先輩は、立浪先輩を縛ることは望んでなかったと思います」 「まあ、俺が勝手にやったことだからね。それも計算の内とか言われたら立つ瀬がないけどさ」 「結果的にそういうことになってしまっただけなのかもしれないですけど、でも、ああなんだろう、私は、立浪先輩が考えてきたことは私なりにわかれる気がします。なんていうか、筋を通せない自分は許せないっていうか」 「うん」 「それで私はどうかと言われると……まだわかりません」 「急がなくてもいいと思うよ」  何かをしたい、やりたいと思うことを考えるのは難しい。ある人は、そんなに難しく考える必要はない、と言うのかもしれない。誰もが"何かしたいこと・やりたいこと"を最低一つは持っていなければならないかと言われれば全然そんなことはないと思うけど、少なくとも私はそういうものがおぼろげながらある。そしてそれを具体的な行動で定義することができないでいる。  もがくしかないのだと思う。  もがいて足掻いて地べたを這いずり回って探すしかないのだと思う。  その途上で、もしかしたら委員会という場を経由することがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。  別れ際に立浪先輩に「好きだ」と言われた。私は頭を下げてそれを断った。  見送ってくれた立浪先輩と目を合わせられないまま電車に乗り、携帯電話の電源を切り、ぼうっとした頭のまま揺られる。  改札を出て歩きなれた道を歩くうちに、よく晴れた夜だったことに気づいた。白く霞んだ息の彼方に一つ、二つ、星が瞬いているのが見えた。冬の夜道だった。歩く先には温かい我が家があって、温かいこたつと夕飯があって、温かいお風呂とベッドがある。それが嫌で、私はうんと回り道をして帰った。  私が筆を取ったのは夜中の二時を回った頃だった。A4のノート十ページ分にひたすら言葉を書きなぐる。それが私の初めての掌編になる。  痺れる右手を擦りながら私はベッドの中で丸くなる。 ロデリック・タウンリー(布施由紀子・訳)『記憶の国の王女』株式会社徳間書店